牛次郎の旅②:ゲリラ地帯は平日に

ミミーゴ
ミミーゴ

エクアドルで「牛次郎」号を買って旅に出た私たち。コロンビアに向かって北上した私たちを待っていたのは…

今回の旅の舞台

コロンビアの左翼ゲリラ

コロンビアに無事入国した私たち。そこで私たちを待っていたのは、左翼ゲリラが支配する山岳地帯でした。
今は政府との和平政策が進み、暴力的な活動は無いそうですが、当時はたまに旅行者も襲われたり、誘拐されたりしていました。

ずっと後、日本に帰ってからですが、私はコロンビアで誘拐されたことがあるというアメリカ人に会いました。屈強の格闘家で、あの有名なモーターサイクルギャング・ヘルスエンジェルスの「ケンカ仲裁係」だという彼も、南米のジャングルでの数か月に渡る囚われの生活は相当堪えたらしく、その経験を本で出版していました。

ゲリラ相手にできる対策というのはあまり無いのですが、私たちが心掛けたのは、彼らの支配地域は「平日の昼間に通行する」ということ。

というのも、彼らの多くは普段、農民だったり、勤め人をしたりして、武器をとってゲリラ活動をするのは週末が多いとの情報からでした。当時のオートバイ旅行者や自転車旅行者は、けっこう信じていましたね。

ゲリラの支配する山岳地帯で、谷を見下ろすウメさん

結果からいうと、私たちは何もなく、あっけなく抜けることができました。緑が眩しい、道路わきに名もなき滝が落ちていたりする、実に美しい土地。ただし、今でもこの地域はコカインの一大生産地なのですね。

それにしても、ペルーの情勢が怪しいから車を買ってコロンビアだとか、我ながら訳が分かんないですね。きっと、みんなで旅行する口実が欲しかったんでしょう。

そうそう、コロンビアに向かう前、私は一応、親に知らせておきました。
心配するんだろうな、と思っていたところ、母親から予想外の反応がありました。
高校時代の同級生が在コロンビア大使をやっているから、何かあったら頼りなさい」
そのコネは、結局使うことなかったのですけど…。

ポンコツな牛

思ったより近代的な都市だったカリや、コロンビアで最も美しいとされる街カルタヘナを抜けて、私たちは北上しました。
このころには役割分担もはっきりしてきて、私とウメさんが交代で運転、猪飼くんとウメさんの奥さんが美味しいごはんをつくる、となっていました。

田舎の人たちは優しくて、道路わきでパスタなんかを作っていると、「お前ら、これを使え」と、椅子と机を持ってきてくれたりもしました。

けっこう自炊していました

ゲリラとの緊張状態にあったので、道路は検問が多かったのですが、決してワイロ目的などではなく、ちょっとした検査ですぐに解放してくれました。
お前ら、この車で来たのか⁉」と、警察の反応も上々でした。

ただ、距離を稼ぐにつれ、我らが「牛次郎号」は頻繁に故障するようになりました。もう、故障のない日が珍しいくらいに。

ベネズエラが近づいてきた日は、突然エンジンがかからなくなりました。
仕方ないので、みんなで押しがけしようと試みます。

牛次郎はとても重い

しかし、牛次郎は重く、ぜんぜん前に進みません。
すると一台のトラックが通りがかりました。こんな時のために、エクアドルで牽引用のケーブルを買って来たのです。

トラックを呼び止めて、ケーブルで二台の車をつなぎ、発進してもらいます。
「そろそろ衝撃があって、ひっぱられるぞ!」と身構えていたら、伸縮性のあるケーブルはどんどん伸び、そして最後に「ブチン!」という音とともに千切れ、トラックはそのまま走り去って行きました…。
あの時は腹をかかえて、みんなで笑いましたね。
結局、普通のロープが一番役に立ちました。

千切れた牽引用ケーブル。南米クオリティ。

ざんねんな首都カラカス

ベネズエラの首都カラカス。こんな写真しかない。

ベネズエラに入国し、首都カラカスに着いたときにはジェネレーター(発電機)が壊れていました。

道が非常にわかりづらく、中心部に入ったのは夜でした。ジュネレーター本体を買いなおさなければならないので、朝まで過ごす場所を探したところ、一軒のガソリンスタンドの警備員が車内泊の許可をくれました。

そこで、みんなで車内で寝ていたのですが、早朝、別の警備員にガンガン車体を叩かれ、起こされます。

「…前の警備員に許可もらったけど」
「知らん。俺は俺だ」
「僕たちの車、動かないんだ」
「知らん。押して出ていけ!

結局、店長に直談判し、一緒に部品を買いに行き、直ったらすぐに出ていくという条件でOKをもらいました。

部品を買いに行ったお店でも、店員の背後にジェネレーターがたくさん並んでいるにも関わらず、「うちにはない」と断られ、実際にお金を見せて支払い能力を証明しないと客扱いしてくれませんでした。
…まあ、我々も汚い恰好していましたが、南米まわってカラカスだけでした、こんなにひどい扱い(涙)。

ここに、カラカスを象徴する写真が一枚あります↓

道が分かれた先に、案内標識がある

ちょっとわかりづらいのですが、高速道路で、道が分かれたその先に、「この方面はどこどこ行き」の標識があるんです。手前にはない。
…これじゃ、どっち行ったらいいか、わかんないじゃん!
※これ、この場所だけでなく、カラカス全域でこんな感じでした。
誰か、「これじゃ意味ないよ!」とか言わないのかな?

あんまり特定の都市とかディスりたくないのですが、カラカスは、「石油が出るから、まあ、あとは適当でいいんじゃない?」ってやっていたら、こうなった感じがする、ざんねんな首都だと思いました。
最近は経済危機で、かなり末期的な状態にあるとも聞きますね。

世界で一番高い滝

でも、ベネズエラ全土がこんな感じだったというわけではありません。
たとえば、ベネズエラで最後に訪れたカナイマ国立公園。セスナとボートを乗りついで、原始の世界が広がるテーブルマウンテンと、高さ1000メートルから降り注ぐエンジェル・フォールを訪れる3日間のツアーはスタッフも親切で、牛次郎の旅・前半のハイライトとも呼べるでしょう。

こんなセスナでジャングルの上空を飛び、
こんなモーターボートで延々と川を遡り、
エンジェルフォールの下へたどり着きました

高さ979メートルから降り注ぐエンジェル・フォールでは、水が霧のようになってしまい、滝つぼがないのです。真下までいって浴びたのですが、まるでミストシャワーのようでした。

シャーロック・ホームズの作者、コナン・ドイルは、この地域のテーブルマウンテンをヒントに、恐竜がまだ生きていたという内容の小説を書きました(「失われた世界」)
本当に、実はまだ生きているんじゃないか、と思わせる秘境っぷりでしたね。実際、これらの山々は何億年も前に形成されたままなので、山の上に生息する生き物の多くが固有種だとか。

私も、ここは「行けるうちに行っておいて良かった!」と心から思える場所のひとつです。
ベネズエラ、情勢が不安定ですからね。

さて、トラブルがありながらも、まさに人生の春を迎えたようにはしゃぐ私たちでした。
怖いものがなかったですね。実際、牛次郎のブレーキは非常に効きが悪いし(サイドブレーキに至ってははじめからない)、「危ない!」って瞬間は何度となくあったのですが、事故らない自信100パーセントで旅を続けていたのです。

…ブラジルに入ってからの、あの日まで。(つづく)

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